2021年8月20日金曜日

「出来ない」はこちらもできないこともあるのです

とある操作がうまくできないとき、調査を求められることがありまして。
対処方法を案内するのですが、根本的な原因を見つけることを求められることも稀に発生します。
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この場合、非常に対応が難しくなります。
こちらの範疇の内容なら対応する方法が限られてきますが、第3者が作成した内容になると、利用したアプリケーションや環境など調べる項目は増えて、外部も対象範囲になると大抵は正確な情報が得られません。
しかもその上で再現性を確認したり、調べる範囲を絞っていくことになります。
(挙げるときりがなく、最悪分からないという結果もあり得ます)

現実的には時間との兼ね合いで、対処方法と影響しそうな内容を案内することでお互いの落とし所としてます。(対処方法が見つからない場合も代案を探ったり最善を期すようにはしてます)

経験則的に相手はすぐに回答が欲しいため対処方法が分かれば良いというのが大半で、影響範囲の大きさ(を理解されている)と時間を天秤にかけて探っても互いに得しない。というのが本音だと思います。

「根本の原因」を求められる場合、私が遭遇したなかでは「こっちが困る」「分からなければ対応できない」などの理由で時間を費やしても対応することを求めてきます。
こちらも影響範囲や事象から推測される要因など色々と説明は行い落とし所を探るのですが、回答した内容には触れずに一方的に対応することを求めるメッセージが連連と。いやー困ります。

さらに相手が伝えてくる理由は明確に終点が見える内容で、「出来ない」訳ではないんです、時間との兼ね合いで現実的には「出来ない」というのが正しいと思います。
しかし、こちらにはそういうものを無視して要求する。
(時間を費やせば対応はできるかもしれませんが、最悪分からない・終点が見えない内容を)
こういう類は本当にメンタル削られます。